――独身だからこそ自由に選べる―あなたにとっての幸福の形とは?――
「幸せそう」に見える人は本当に幸せなのか?
たとえば、こんな人を想像してみてください。
- 大企業の部長
- 年収1500万円以上
- 毎年海外旅行
- タワーマンションに住み、外車を所有
どうでしょう。なんだか華やかで、人生の成功者に見えませんか?
でも、その人が「幸せかどうか」は分からないのです。日々どのように感じて生きているかによって、結論は大きく変わるからです。
私たちが「幸せそうだ」と思ってしまうのは、社会が作り出した価値観に従っているからです。その価値観の根底にあるのが、資本主義と功利主義です。
資本主義とはなにか?
難しく考える必要はありません。要するに――
「お金や物を増やせば社会も自分も豊かになる」
これが資本主義です。
利益を追求し、それが巡り巡って社会全体の富の増加につながると考える仕組みです。もちろん便利な制度ですが、富は平等には分配されません。資本主義は「持つ人にさらに集まる」性質を持っています。だから格差が広がるのです。
功利主義とはなにか?
19世紀イギリスで生まれた倫理学の考え方で、基準はシンプルです。
「より多くの人が、より多くの快楽や利益を得られる社会が良い社会」
幸福=快楽(快感・利益)と仮定し、それを測定可能なものとみなしたのが功利主義です。ベンサムが代表ですね。
ただし、快楽は数値化しやすいために選ばれただけで、**「数値化できる幸福=すべての幸福」**と錯覚しやすいという罠があります。
「幸せそうに見える」の正体
資本主義と功利主義が結びついた現代社会では、次のような図式が自然に成立します。
- 多くのものを所有している人
- 高い地位や収入を持つ人
- 目に見える成功を収めた人
こうした人々が「幸せだ」と思われやすいのです。
しかし、それは社会が与えた物差しに従っているだけで、本質的な幸福かどうかは別問題です。
アリストテレス・孔子・釈迦、それぞれの幸福論
実は、古代の偉大な思想家たちは「幸福=快楽」とは考えませんでした。
- アリストテレス
「人間に固有の働きを最もよく発揮した状態」を幸福と定義しました。超訳すれば「自分の能力を全力で発揮して生きること」です。彼は快楽や欲望の追求は“家畜的な生き方”にすぎないとしています。 - 孔子
「幸福の基盤は仁にある」と説きました。仁とは「他者を思いやる心」。富や権力よりも、人と共に生きる徳を重んじました。 - お釈迦さま
快楽を追う欲望は「渇愛」となり、苦しみの原因となるとしました。欲を減らすことこそが安らぎへの道だと説かれました。
この三本柱だけでも、幸福=快楽という考えがいかに狭いかが分かります。
では、私たちはどう考えるべきか?
もちろん快楽を否定する必要はありません。楽しいこと、美味しいもの、心地よい時間――それらは人生を彩る大切な要素です。
しかし、「快楽=幸福」ではないと理解することが、50代独身男性にとっての大切な第一歩になるはずです。
社会的地位や所有物は「幸せそうに見える」ための記号にすぎません。
むしろ、これからの人生では――
- 自分の能力や可能性を活かすこと
- 他者との思いやりある関係を築くこと
- 欲に振り回されず心を安らかに保つこと
こうした視点から幸福を再定義することが、真の意味での「充実した生」につながっていくのではないでしょうか。
あなたはどうする?
あなたにとって幸福とは何ですか?
それは「数値化できる快楽」でしょうか。
それとも――静かに心が満たされる瞬間や、誰かと笑い合う時間の中に見いだせるものなのでしょうか。
このブログでは50代独身男性への幸福論を発信していきます。ぜひ一緒にどう生きるか考えていきましょう。